交差するまなざし

田島加奈子

学校に行こうとしたら、当たり前のようにランドセルがあって、当たり前のように鉛筆などの筆記用具や教科書があって、当たり前のように着ていく洋服があって、当たり前のようにあったかい朝ごはんが出てくる。「これ美味しい」と一言言えば、嬉しそうな顔をして自分の分まで私にくれる。

そして、当たり前のように「いってらっしゃい」が聞こえてくる。

 

その人が自分のために『当たり前』に何かをやってくれているということ。そういう当たり前の中にこそ愛は存在するのだと気が付いたのは、社会に片足を突っ込んでからだ。社会の中で生きていくには、少なからず誰かの役に立たないといけない、そうでなければ存在する意味すらないのではないか、いつしかそんな焦燥感を抱くようになった。思えば母はいつだって、私という存在をそんな利害損得の感情抜きに愛してくれた。私が熱を出した夜にはいつまでも手を繋いでくれていた。大丈夫、と笑ってくれた。愚かである時でさえ、一度たりとも見捨てることはなかった。

 

『当たり前』の中に存在している愛こそがまさに無償の愛ではないだろうか。見返りを求めないということはそう簡単ではないはずだ。その偉大さに気付き、私は母を撮ろうと思った。

 

 

この作品では、子どもの頃、母が私を撮ってくれた写真を元に私が母を撮る、という方法でポートレートを試みた。当時母が立っていたであろう位置、あるいは私が立っていたであろう位置に今度は母に立ってもらった。母は照れ臭そうにしていたり、写真の中の私の真似をしておどけてみせたりした。また、母が私を撮った過去の写真を再度私の手で複写し並べ、呼応させるように表現した。

 

私が生まれて20年以上経った今、こちらからシャッターをきり返した。すると、撮る・撮られるという立場が逆転してもなお、変わらないものがあることがわかった。大人になった私を、母は今でも変わらない眼差しで見守ってくれる。時を超えて母と私の視線が交差する。幼い頃の私を撮った母の顔が、フラッシュバックしたような気がした。