富士詣

「富士詣」

 

「富士塚」とは何だろう。

辞書で調べると、富士講の信者が、富士山に模して築いた塚で、江戸時代、関東地方一円に数多く作られ、陰暦61日に山開きの行事をしたとされている。

そして、近世の民間信仰遺跡の一つで、特に文化・文政期(1804-30)以降に盛行した。富士講では、富士に詣ることは、ちょうど極楽に行って戻ってくることと同じだと説明して信者を集めていたとされ、地元でも富士登山ができるようにと作られたそうだ。

 

都内に74ヶ所存在している富士塚だが、意外と近くにあって実際に登ることのできる富士塚もある。

東京の富士塚は大小様々で、ビルに囲まれている富士塚はそこだけ空気が違うように感じる。形状も数メートルから18メートル越まで様々だが、本家の富士山3,776メートルよりも低い。

 

本作「富士詣」では、東京にある富士塚を被写体とし、現在の富士塚の姿を撮影している。工事によって移転した富士塚や、記念碑だけになっている富士塚など、様々な姿をしている富士塚に着目した。実際に撮影をしてみて、多くの富士塚が建物に囲まれていることが多い。作られてから時間が経っており、地域開発等の工事によって富士塚の周りの景色が変わっていったと推測できる。作られた当初の姿が残る富士塚もあれば姿が一見する富士塚だと認識されないようなものもあった。富士塚とその周辺の景色には今もなお江戸の時間が流れているものもあれば、現代の時間の中に取り込まれてしまったように感じるものもあった。そして多層な時間の流れこそが現代の東京の姿を形づくるものでもあるのだ。