日本の都市空間において、自転車は身近な存在となっている。安価に手に入るママチャリが浸透し、
自転車を所有・借用していれば、すぐに道路に走り出し、目的地へ向けて移動できる。また、その利便性と自由さは高い人口密度を誇る都市において毛細血管のように広がり、人々の生活に欠かすことができない。自転車の位置づけは「歩行」の延長に近く、徒歩感覚で短・中距離移動に使われる。しかし、その
背景には放置される自転車、自転車を盗むことの容易さ、厳格な交通ルールとその運用が困難である
という社会問題等が存在している。現行の法律上では軽車両という「車両」扱いにされながら、「歩行」の要素も多分に持ち合わせる自転車は、いわばグレーゾーンの移動手段である。
都市の中に停車・放置された自転車は、数時間後に持ち主が現れる可能性がある。あるいは数分後に誰かに盗まれることもある。数日後に回収されるかもしれないし、誰の記憶からも無視され、数十年の
時をその場所で過ごし、朽ちていくかもしれない。
こうした不確かな存在として、自転車は都市に横たわっている。所有者の痕跡を残しながらも、その場にとどまり、もはや誰の手にも属していないかのように置かれている。都市の夜の中で自転車はもはや
風景に同化し、当たり前の光景となっている。ここに、強いフラッシュを当てる。途端に自転車が主役
として台頭する。都市が見ないふりをするその姿に光を当てることによって、自転車たちは、まるで生きるものと遺物の境界に置かれたように、その場所に「在る」ことを主張しはじめる。
2025- 北永 航佑