曽祖父の手によって築かれた写真館。確認できる記録によれば、その始まりは昭和十一年に遡る。生まれたときから身近にあったその空間は、私にとってただの背景でしかなかった。しかし、ある日、曽祖父が使っていた一台のフィルムカメラを見つけたことで、彼の存在が急に輪郭を持ち始めた。

手にしたカメラは、幾度となく彼の指先が触れ、景色を切り取ってきたものだった。そして、その傍らには、彼が見つめた風景が焼き付けられた写真があった。私はその瞬間、彼の目に映った世界を追体験してみたいと思った。

 

 

彼はなぜ、その場所を選び、シャッターを切ったのか。どのような想いで、風景を写し取ったのか。それを知るために、私は曽祖父が撮影した場所を探し、同じカメラを手に撮影を試みた。デジタル全盛の時代において、フィルムを装填し、露出を測り、慎重にシャッターを切る行為は、想像以上に手間のかかるものだった。現像し、暗室でプリントを仕上げる工程を重ねるたびに、写真というものがかつてどれほど丁寧に作られていたのかを痛感した。そして、そんな手間を惜しまず、一枚一枚に心を込めた曽祖父の姿が、少しずつ浮かび上がってきた。

この作品を通して、曽祖父のことについて気づいたことは、慎重に構図を決め、確信をもってシャッターを切る姿勢の奥には、写真に対する深い情熱があったことは確かだ。時代が変わり、写真の技術は進化したが、曽祖父の写真に宿る誠実さは、今も私の中に生きているように感じる。

曽祖父が遺してくれたものは、カメラや写真だけではない。彼の想いは、いまも写真館という形でこの場所に息づいている。私は、その意志を継ぎ、これからもこの写真館を続けていくつもりだ。彼が見つめた世界を、私もまた見つめ、未来へと繋いでいきたい。