あの夏

「甲子園大会に出場するために、

今日も一日練習ができること、

学園と野球の神様と家族に感謝します。

気を付け、

 

よろしくお願いします。」

 

野球が嫌いだった。

幼い頃は、週末になると親に無理やり兄の野球観戦に付き合わされ、暑くて汗で身体がびっしょりで、

白い人々が泥まみれになっていくのを眺めながら、退屈な時間が経っていく。

何も考えなくていいあの頃は、今思い返すと実はとても幸せだった。

 

何事もいつかは変わってしまうことを全く気にしていなかった、むしろ変わることを知らなかったと言ってもよかった。

高校生になって一人で日本に留学して、今までの環境が激変し、「変わる」ことを意識し始めた。

あらゆることは終わりを迎える、初めて実感できて、これ以上子どもでいることはもう許されないと感じた。

 

そこで、唯一変わっていなかった光景が、学校のグラウンドで練習している球児たちの姿だった。

日々単調な練習でも、繰り返し全力でボールを追いかける。

そんな姿、ずっと前から嫌というほど見てきた。

 

変わらなくていい理由が欲しくて、「変わらない」彼らの姿にカメラを向けた。

 

湿った空気の中に混じった土の匂い、鳴りやまないセミの鳴き声、目が眩むほど強い真夏の日差し。

全てがあの夏のままなのに、「変わりたくない」と思って必死に写真で記録している私だけが変わった。

野球に意味を求める私が滑稽に思えてきた。

 

フェンスの向こう側に立ってボールを視線で追い、頬を伝う汗を拭う。手元にあるカメラの重さが増していった。

私は確実に変わった。しかし今の私にはカメラがある。人の生き様のような泥臭さも、広々としたグラウンドでの人物配置の面白さも、

夕日に照らされるボールの色も、ファインダーから覗けばそれらが見える。

見たいと思うようになったのだ。

 

変化は何も怖くないことに気付いた。

 



シャッターを押せば目に映る色も温度も感情も思い出もすべて、

新たな形になり、記憶となっていく。

 

日が暮れ始め、砂の混じった風が私の頬を撫で、汗が滴り落ちる。

何年経っても練習前のグラウンドに響き渡る唱和の声は変わらない。

 

もう二度と戻れないあの夏は、

 

なぜかすぐそこにあるような気がした。