両隣を関東圏、中京・関西圏と名だたる都市に挟まれ、背後には壁の如く連なる南アルプスに加え、日本一の標高を誇る霊峰富士が堂々聳え立つ。そして、それら山脈からの雪解け水は、肥沃な土地を形成しながら大河となり、日本一の深さを誇る駿河湾をより蒼く染めてゆく……。これが私、駿河人の想像する静岡のイメージで、ここに浜名湖や伊豆が出てこないのは、駿河人からすれば伊豆は関東、遠州は名古屋のような体感すらあるためである。
伊豆餓死、駿河乞食、遠州泥棒
もし食べるものが無くなった際、それぞれの土地の人はどうするか、その三者三様な人間性を的確に表現した言葉である。前述の通り、静岡は大自然に阻まれた土地という特性から、居住に適した平地も多くなく、人々は自然と交通の便の良い東海道に沿って街を形成した。それぞれの横に広がる点と線、宿場町と東海道の間には、大きな川や険しい峠など地域間交流を分断する縦の物理障壁が多く立ちはだかり、現代に至るまで隣合った街同士に異文化が展開されていることも珍しくない。明治以降、旧東海道に代わって東海道線や国道1号線など「現代の東海道」が開通したことで、人々は夜にも活動できるようになった。そして形成されたのが、第一次産業から第三次産業まで、それぞれの特色ある「眠らない街」が東西一直線上に点々と存在する、現代の静岡の姿である。今回、その中でも特に眠らない駿河国の範囲に絞り、遠州との境に当たる大井川から富士の麓まで、夜の東海道を東進する。
箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川
ここまで紹介してきた私にとっての日常風景は、そう遠くないうちにその多くが失われてしまうことを最後に注記しておく。どの程度失われてしまうか、それは私にも分からない。
今回、この作品の制作に当たった2024年には、元旦から能登地方で震災が発生した。3つのプレートの交点の直上にある静岡では、東海地震が、南海トラフが、富士山の噴火が、大津波が来ると言われ続けて半世紀。未だ訪れない恐怖に対し、県民は一周回って安堵してしまっている。だからこそ、当たり前の時を紡ぎ過ごす有り難さ、その希少性について再考すべきと考え、地元静岡の風景を、それも各地の個性がより際立つ夜景で撮影した。
その他に、今回の作品では写真特有の表現、写真表現の限界や独自性について意識しながら作品を制作した。写真で動きのあるものを捉えることは不向きである。しかし、映像媒体全盛の現代に、我々が敢えてそれらを写真で表現する意義を模索するため、いっそ欠点を逆手に取って長時間露光を行うことにした。写真には真実のみが、操作するがままにしか写らない。だからこそ時の残像たちが浮かび上がる、偶然性を楽しむ作品が作れた。
2020年代に生きる者、特に若い層を中心に作品を「消費媒体」と捉えている節がある。タイパコスパ重視、倍速視聴、ショート動画などの流行を否定するつもりは無い。しかし、表面上の直感的な美に囚われた中身の無いものを「作品」と称したり、意味も理解されず集団心理に惑わされて流行っている作品を見たりすると私は虚しくなる。急か急かと中身のないハリボテを築くなら、じっくり三脚を据えて中身のある作品を作るべきであるし、鑑賞者側にも忙しない現代と隔絶した心の余裕や、作品に対する探究心が必要である。文明の発展は昼夜問わぬ活動を可能としたが、その分だけ、時に対する余裕を過去に忘れてきてしまった。