檜山 遼
ある事件について報じたニュース映像に、手が映し出されたインタビューシーンがあった。
その手は加害者の親のもので、私はそこから被害者への思いや子供への思いなど、さまざまな感情が伝わってくるのを感じた。
手には表情があり、多くを伝える力があると改めて思った。
これをきっかけに手に注目するようになり、ある願望が生まれた。
それは様々なジャンルで多種多様な使われ方をする手を大量に見てみたいという願望である。この作品はそんな私のふとした思いからできてしまった作品となっている。
これを実現するために、今回は自分で撮影するのではなくメディアからピックアップしていくことを採用している。
また、モニターを複写することで出てくるモアレやディテールの失われた画像の面白さも感じていたため、そのビジュアルの面白さの探究も同時にした。
人類は、物を掴み、道具を使えるようになったことで知能を発達させ、やがて地球上で最も影響力を持つ存在へと進化した。この進化の背景には、手の持つ器用さが欠かせなかっただろう。さらに、手はジェスチャーやボディランゲージといった自己表現の手段として多用され、コミュニケーションを円滑にし、深みを与える力も持つ。
人類にとって重要な役割を果たしているにもかかわらず、私たちは普段、手を意識することは少ない。手が整然と並んだ画像を見た時、私たちは何を感じるのか。そして、手という存在は人類にとってどんな存在なのか。
改めて手に注目することで、思いがけない発見や新たな視点が生まれるかもしれない。