2004年10月23日。
山が揺れ、崩れた。
家や牛舎が潰れ、多くの人々や愛牛、錦鯉の命が失われた。
避難勧告によって山から人々の姿が消えた。
角突きどころではなくなってしまった。
人も牛も山からいなくなってしまった。
あれから20年。
山には人と牛の姿がある。
勢子の朝は早い。
牛を清め、角突きに備える。
いつも牛舎で飼われている牛は、つなぎ場で出番を待つ。
鼻綱が抜かれ、天高く投げられると、取り組み開始の合図だ。
頭と頭がぶつかる鈍い音がする。
勢子が「ヨシターッ」の掛け声と共に手を広げ、牛を勢いづける。
取り組みを終えると、場内をひき回し牛を称える。
勝ち負けはない、良い角突きをした牛たちは誇り高く闘牛場をあとにする。
勢子は愛牛をねぎらい、勢子もまた互いに讃えあう。
国指定の重要無形民俗文化財の「越後牛の角突きの習俗」は新潟県長岡市山古志や小千谷市東山で継承される。
牛の角突きの歴史は、滝沢馬琴が書いた「南総里見八犬伝」に記述がある。このことか
ら少なくとも200年ほど前には根付いていたと言える。
勢子の父親を持った子どもたちは、牛を飼い、その世話をする姿を見て育った。
やがて自分も同じように牛を持ち、勢子になりたいと憧れた。
東山の人々はそうやって何世代にもわたり角突きを継承してきた。
東山の人たちにとって牛の角突きは生活の一部であり、愛牛は家族同然。
だから、角突きは勝負をつけない。絶対に引き分けで終わる。
それは愛牛が傷つかないようにするためである。
牛の角突きは引き分けで終えることが最大の特徴なのだ。
地震により中断していた角突きは小千谷市内に仮設闘牛場を設置し、2005年6月5日に再開した。
そして、地震から1年7ヶ月。
2006年6月4日には小千谷闘牛場に戻り再開した。いまの若い勢子は当時小学生かもっと幼かった。現在、
角突きを引っ張る世代でもある。
角突きはここに住む人の生活であり誇りなのだ。