存在の余白

2023年8月、種子島にある廃墟と化した曾祖母の家を訪れた。

床は剥がれ落ち、窓ガラスは苔むしていて昔訪れたときの生活感は一切ない空間になっていた。

わたしは記録を残そうといつもよりもシャッターを切った。

島を離れ1か月ほどたったとき親族から曾祖母の家を更地にした旨の連絡が入った。

そしてまたその一ヶ月後には曾祖母が亡くなった。

写真を撮っていて良かった、、、。

失われたものが自分の手元に残っていることがとても嬉しかった。

その時に"自分が"写真を撮る意味を再考させられた。

今は存在しないものや、感情を物質として残したいと思い製作に移った。

 

チェキにプリントし、現像の経過をやスキャンする。

現像が終了したチェキフィルムでは絶対にみることができない像をスキャンして写し止めることが今はもうない曾祖母の家を写した写真とリンクした。

手元にある像ともう見ることのできない一時的な像が混ざり合う写真の集まりとなったとき、そこに写る曾祖母の家や種子島の風景は現在と過去を可視化し、褪せていったはずの風景を写真の世界で色濃く存在させていた。

 

曾祖母の家をきっかけに考えた私の感情をここに物質として残す。