ある時、自分のことを見つめ直す時間を持った。
自分は何が好きで、どんな人間で、どうなりたいのか。そして自分らしさを自分で定義した。
自分らしさを自覚すると気持ちが楽になった。
楽になったが、1つ疑問が湧いた。
「他者から私はどう見えているのだろう」と。
自分の思う”私らしさ”があるように、
他者の思う”私らしさ”もあるのではないかと考えた。
”私らしさ”は1つではないはずだ。
今まで身を置いたコミュニティーの数だけ違う顔があるはずだ。
家族に見せる顔、幼馴染に見せる顔、大学で見せる顔、
きっと無意識で立ち振る舞いを変えているに違いない。
知りたい、他者の目に私はどう映っているのか
とは言え、膜を通して伝わる私は
曖昧で、不確実で、100%の澄んだものとは言えないだろう。
他者の重ねてきた人生経験が、レンズになって印象の媒介になるから。
汚れているのも、傷ついているのも、モヤモヤするのも全部自分である。
後藤優子