Legacy

「ずっと残るものは何だろう。」母の旧姓「長島」や、家、土地。引き継ぐ人がいなくなるかもしれない、と聞かされた時、不意にそう思った。

母方の祖父母の家は、私の家から徒歩2分の距離。坂を駆け上がった先に、私が生まれる前から「ばあばんち」があった。まだ物心つく前、母にならってそう呼んでいた。その家は、私にとって、変わらない『安心』の場所だった。祖父母の温かい存在、落ち着く匂い、広い庭、いつも洋服を縫っているばあば、ゴルフをしているじいじ、おしゃべり好きなばあばそして、動物に好かれる優しいじいじ。

「ばあばんち」は、ただの家ではなく、私にとっての「遺産」。そこにあるすべてが、私の記憶と深く結びついていた。「お家を継ぐ人がいなくなる」という言葉が示すのは、物理的な家が消えるだけでなく、祖父母がいなくなったら、私にとっての当たり前だったもの、そこに存在していたすべてがなくなってしまう。その思いは、言葉にできないほどの悲しみを私にもたらした。写真は、目に見える形でその存在を証明し、記憶を留める手段だ。

匂いも、思い出も、祖父母がそこにいたという記録も、すべて写真の中に宿る。

写真は、私にとっての「遺産」を形にし、未来へと繋げてくれるものだと思った。

これは、祖父母から、さらにその前の世代の祖先たちが代々受け継いできた「大切な遺産」。

今、それを私は写真という形で残していく。

Legacyには「過去から受け継がれた想いや影響」という意味が込められている。私にとっての遺産は、目に見える形あるもの「heritage」ではなく、祖父母から受け継がれた思いや価値観、つまり『Legacy』だった。




私の想いと大切な記憶が、これからの家族へと繋がっていきますように。

祖父「じいじ」と茶太郎

祖母「ばあば」