何気なくすぎる日々、何気なく生きる人々
それぞれが当たり前のように生きている時間
その一瞬一瞬が何気なくも暖かく、かけがえのない尊いものだ。
生まれ育った山形の地で家族、友人、そして関わりがなくともその土地で生きる人、
それぞれの「ある日」の一瞬を切り取った。
地元に帰るたび写真のモデルになってくれる二人の友人がいる。
小中高校と時間を共にした二人も山形を出て、大学へ進み就職・進学と各々の時間を刻み
それぞれの道へ進んでいる。
確かに私も彼らも大人になっていってる。
けれど他愛のない話で笑いあったり、そうした同じ時間・空間を再び共にすると
あの時と変わってないなと少し安心する。
そう思う一方で、置いていかれているような気もして心に少し空洞ができるのだ。
少し面識のある人
顔も名前も知らない人
直接的な関わりのない数えきれないそれらの人たちにもそれぞれの生活・日常がある。
私の目には映らないもの
私にとって何も感じないような時間
それでもその人一人ひとりにとってはかけがえのない時間・一瞬なのかもしれない。
私は小さい頃から泣き虫でワガママだった。
写真についての知識や経験がないにも関わらず、
大学進学というワガママに背中を押してくれた家族には感謝してもしきれない。
帰省するたび暖かく迎えてくれる父・母・祖母
私より先に東京に出て働き、何だかんだ面倒を見てくれる姉
もっとも多くの時間を過ごした家族、
目に見える景色や時間の刻みは同じようで少し違う。
家族の中でもそれぞれかけがえなく、尊い一瞬がこれまでもこれからも創られてゆく。