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本日はよろしくお願いします。
早速ですが鳥海先生は写真学科のSDGsの取り組みに対してどう思っていらっしゃいますか?
去年のクラスで話し合う中で、合理化(自然破壊につながる)と手間のバランスがあって、結果SDGsすると人手が必要なことが増えて雇用が生まれたり、そこに対して補助金が支払われたりしてお金が回っているらしいことも分かって。「やらされてる」じゃなくて「楽しもうよ」という感じに去年(の写真基礎演習のクラス)は行き着いて。何か媚びてないことやろうって話になったの。
なるほど。それであのゴミ箱分別ゲームが生まれたんですね。突然ですが、読んでくださるみなさんが鳥海先生のことを詳しく知らないかもなので、簡単な自己紹介をお願いしたいです。
1984年三重県伊勢市に生まれて、高校で写真部に入って、顧問の先生がめっちゃ面白い人で、高3の春くらいに「写真やろう」と思って日本大学芸術学部写真学科に入学しました。
大学3年生のクラスに意識高い人が多くて、「報道カメラマンになる!」とか「アーティストになる!」という子達がクラスの中にいて、私はそういうのが無くて。「写真を撮る仕事はきっとしないな」っと思って。普通に就活して4年生の春採用で内定が出たって感じでした。 週に2.3日は暗室入りに来てたから学校にいたけど、内定先でバイトしながら4年生の後半は過ごして、1年半くらい社会人して、色々なことがあって。 どの業種もちょっと嘘をつかないと会社は成り立たないんだなっていうことがわかって。でも、そんな社会で生きていかなきゃいけないんだったら、好きな分野での仕事をしたいなと思ってようになったのね。
それからは、サントリー美術館で受付をしたりとか。でも結果として、美術全般好きだけど、やっぱり写真だなっと。それで大学院に戻って、5年間写真の研究をして、1年間外で働いたのち、ここの教員になリました。
先生の今までがちょっと立体的に見えました。
やっぱり外で働いてきたからこその感じたことも多かったですか?
うんうんうん、多かった。
学生目線で、3年目の今、写真学科のカリキュラムに対して、個人的に思うところがあって。
海外の写真学校は、まずはじめに「あなたにとって写真とは何ですか?」を徹底的に考えさせてから、その後に技術だっていう考え方が多いらしく、でも、 それがここでは真逆な感じがするんです。
そうだね。日芸はもともとどっちかっていうと、広告写真家とか、報道カメラマンとか、営業写真館の子供とかが来るような商業カメラマンを育てる大学として始まってるのね。だから、ベースとしての考え方がちょっと商業的だからかもしれない。まずは技術、そのさきに表現という感じ。その分就職するときに「日芸なら安心」っていうのはあると思う。
何を求めて大学に来るのか、だよね。最初からアーティストにしかなりたくないのに「なんでこんな基礎や技術のことばっかりやんなきゃいけないの」を序盤でもっちゃうと、つらいと思う。 3年生になると選択肢が増えるけどね。
先生が感じたコロナで大変だったなっていうことってありますか?
私個人としては、なんか大変なんだろうなっていうのはわかるけど、具体的には見えてこないんです。
初期は「ZOOM?」って感じだった。笑
最初は技術的なバタバタがずっとあって。その後は「伝わってるかな?」っていうオンラインコミュニケーションの難しさ。オンライン授業だと、同じクラスの子がすっごい良く見えちゃう現象も学生間であるなっと。かっこつけきれちゃう感じ。だからなかには劣等感とかで辛くなっちゃう子もいるなって思って。
うんうん、分かる気がします。
私は対面で会ったほうが会話はしやすいけど「オンラインでいい」って人ももちろんいるし。どっちもいい感じにできればいいなっと。コロナで根本がすごい揺らいだじゃん、様々な。写真でできることもそうだし、あらゆるコミュニケーションツールが変わったから、あと数年はもやもやするんだろうなという気はしている。
結構、学生間でもそれはあるんじゃないかなと思います。授業を受けていても「あまり喋らないで」って言われてたぁとか。
そうよね。この前学生と話してて「知り合いはできるけど、友達はできない」って言ってて。納得と思った。
コロナに関してですけど、私の場合は留学生で、1年生の時のコロナじゃない状況とコロナになってからの状況を両方経験しているじゃないですか。
その時を考えてみると、一年生の時は実習もいっぱいあったりして。学校の機材とかも予約しなくても現場で使えたり。いろんなことに関しての制限がなかったんですけど、コロナになって1年目はほぼ実習ができなかったんです。自分的にはやはり1年生と2年生の間に学んでいる質の違い、学習の質の違いがすごく、大きいな差があると感じてまして…。そういうところで考えてみると、学費とかってあんまり変わらなかったんですよね。学生側で感じるには、自分が学んでいる学習の質がすごく低くなったと感じているのに、学校側ではだとしても「学費に関しては何とも言えません」みたいな。そういう立場だったんですけど。そういう状況の中で、学生側が感じる学費に対して負担とかに関してはどう考えていらっしゃったのかもお聞きしたいです。
お金のことは難しいよね。
みんなの気持ちと大学のことを一緒に考えるのは難しくて一概には言えないけど。お金で返せない分、「ここがお得ポイント」みたいなことが出来たらいいなと思う。今まですごい我慢してくれてたから、卒業までがめっちゃハッピーじゃないと割に合わないよね。だから出来ることはしていきたい。なんだろう。「芸祭を年に三回やります」とかでもいいけど。ちょっと違う。方向性が違うし現実的ではないけど…(笑)
学生が「あの期間は我慢だったけど最後の一年間めちゃめちゃ楽しかったなぁ」ってなるようなキッカケを教員側が作れたらなっていう気はしてる。
日芸におけるSDGsについてはどうですか?
それこそコロナがきっかけで、PDFで共有したら意外にプリントアウトした紙が無くても大丈夫な授業もあるっていうのがわかったかな。紙のプリントアウト量はぐんと減ってる。だからそういう「資源を大切にね」系のは期せずしてコロナでちょっと恩恵を受けているところはある。
でも、SDGsに反してないと写真できないから。薬品とか自然に害があるものも多いし。写真とか絵画とかって、デザインとかも「紙を無駄にしないと生まれないアート」だと思うし、必要な無駄は無くすべきだけど、SDGsって言い過ぎて「SDGsなんでデッサンしません」とか言うようになったら恐ろしいなっていうのは、SDGsの序盤から思う。
アートって基本、無駄なことのほうが多いと思う。コロナになった瞬間も思ったけど、アートでできることがめっちゃ少ないし。演劇とか映画館が一気に閉まったのもそうだけど。生命維持というか、動物として生きるのには不要だから。SDGsみたいな観点でいうと切られちゃうところにむしろいるから。SDGsはもちろん大事だし、 全世界規模で考えたらやんなきゃいけないことだけど、表現者とか表現がそれで無くなっちゃうのはすごい嫌だから。そっち側の気持ちのほうが、私はちょっと強い。
コロナの初期とかそういう議論、すごくありましたね。
エンタメが本当に必要なのか?みたいな。人を楽しませる事を生業としている人たちがみんな苦しむという状況でしたね…。
そうそう。多様性とかジェンダーの話もそうだけど、ただ動物として種の保存的に生きるんだったら、たぶん多様性って認め合う必要がなくて。動物だと淘汰されていくじゃん。子孫を残したら死んでしまったり、メスに食べられるオスとか、そういう動物っていっぱいいて。でも人間ってそうじゃないし。子供を産むことが目的じゃない愛情の在り方をもう認め合ってるしね。
”アートとは” とかもそうだけど、”人間とは” みたいな「結局どう生きたいの」みたいなことを考えるために、SDGsは提示されてるんだなぁって思う。動物として、永久に子孫を反映させていきたいのか、今生きている人間が豊かに平和に心地良く生きたいのか、みたいな。
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先生は授業を計画するとき大事だと思っている部分、意識している部分は何かありますか。
学生と話してから細かい部分を考えるかな。 「こういうことしたい」は年によっても人によっても違うから、あんまり決めない。特に写真基礎演習IIIはそう。 去年の学生は、コロナで他学科の友達がいないから授業を通して他学科のことをもっと知りたいっていうリクエストがあって。他学科の先生にちょっと今から会いに行ってもいいですか?みたいなことをしてたし、今年は写真について話したいっていう子が結構いるなって印象だから割と話してる。シラバスは出さなきゃいけないけど、会って、話して、決めたいっていうのはある。
授業をするとき、どのような技術や能力の向上を目指していますか。
授業によって違うけど、写真技術Iとか写真基礎演習Ⅰ・Ⅱとかは、基本のき、みたいな感じ。ここのポイントは必ずクリアしてくださいっていう課題がある授業だから。まずは基本的な技術を身につけてほしい、そこから表現も生まれて欲しいというのが実習系の授業で思っていること。写真作家作品研究とか写真基礎演習IIIとかは、自分にとって写真ってなんなのかをドンと言える人になってほしい。で、できればそこに行動が伴って欲しい。
鳥海先生って学生に合わせて授業のいろんなところを変化させてくみたいな、自由度が高い、そういう授業をしていらっしゃるように見えます。
自分が写真家じゃないっていう負い目がそうさせていると思う。自分が写真家だったら「自分の場合はこうやって制作してるよ」って言えるから。”背中で語る”ができるけど。撮る人間の苦悩みたいなのを100%分からないから、常に写真を撮っている学生に対して尊敬の気持ちがある。
私は歴史の方にどうしても興味をもっちゃうから、偏ったことを言っているなっていう意識が強くて。なるべく今写真をやっている人が何を学びたいかは聞かないと、と思う。卒業後どうなりたいか、とかも。自分が学生の頃って8割の人が写真家になりたかったけど、今みんなと喋ってると「いや別に写真家になりたいわけじゃないんですよね」みたいなこと結構聞くから、「じゃあなんで大学にいるの」っていう会話をしないと何を求めてるのかが分からない。(インタビュアーの)4人も多分4人とも違うじゃん、いる理由が。 だからなんかそれは聞かないと分からんって思う。聞いたらできることはやっていこうって感じ。まあ出来ないことももちろんあるけど。
個人的に鳥海先生が前になんかの授業でしてくれた話で、すごく印象に残ってる話があって。写真の業界って写真を撮ることがメインストリームだから、そこがすごい輝いて見えるんだけど、意外といろんなことを知っていくと写真の業界にもいろんな仕事があるよって話してくれたのすごい覚えてて。私も結構写真を撮ることに本当に周りと比べて熱意がある方かというとそうではないから、その話ってすごい救われるなあと思って聞いてたんです。写真はもちろん好きで入ってきたし、でもなんか撮るってことに100%熱意注げないみたいな学生っていると思ってて。先生の今のお話聞くと撮ることに熱意のある学生が減っちゃってるってことじゃないですか。 理由は分からないですけど、なんなんでしょうね。
なんだろうね。写真を撮るということが以前より簡単になっているのもあると思う。写真家じゃなくてアーティストになりたい人も増えていると思うし。写真は撮れるから、それをつかって何したいかを考えたいの人も増えてると思うし。技術がちょっと簡単になった分、「それ使って何やる?」の次の段階に今も進んでるのかな。学科っていう枠はあるけど、学生はもっとぐいぐい行っていいと思う。他学科の先生でも「教えてください」って言ったら、だいたいウェルカムしてくれる。そういう強引さはあってもいいな、と思う。
必要ですね。
みんなちゃんとしてるから。今は若者たちは。「お忙しい中すみません」ってちゃんと言えちゃうし、思っちゃう人たちだから。 何かね、それこそお金払ってここにいるっていう権利をもってるから、他学科の面白そうな先生とかどんどん話しかけたらもっと面白くなるよ!って思う。 校門をくぐったらみんな仲間っていうのを思える感じの学校がいいなって思う。
中庭にいる知らない人に話しかけるとかあんましないじゃん?結構そんな大学だったと思う、自分が学生のころ。教員もかつては喫煙率が高くて、そこで学生と議論したりしてた。コミュニケーションがとりやすい場所になるといいよね。
もっと芝生が増えたり、ゴロゴロ出来る場があるといいですね(笑)
やっぱり写真学科ですが、その前に芸術学部じゃないですか。芸術学部だから、いろんなコミュニケーションをとったり、活動を一緒にすればいいなといつも思っているんですけど。それがなかなか行われてないっていうか。そういう機会もなくて。学科の人だったら、1人2人知ったらちょっと多く知ったなみたいな感じじゃないですか。先生方も知らない方が本当に多いですし。
確かにそうだね。学生がいろんな人と会える、コミュニケーション取れる授業みたいなものってちょっとずつ増えてはいるけど。
もっとそういう機会をつくれるように頑張ります!
先生は毎年、いろんな学生に出会うじゃないですか。
学生に会いながら「大学の方にもっとこういうところを学生のために」と思うことはありますか?
個人的には「きっともうちょっと大人だよ」と思ってる。あれもダメ、これもダメが大学として結構多いから。ルールは大事だと思うし、これまで守れない人がいたからルールになってるって分かってはいるんだけど。大学生は基本みんな大人だから。良し悪しはちゃんと判断できると思ってる(というか信じてる!)。もう少し寛容になれるといいな。
あ、私は最近、入り口の黒板に<学生課から今日のお知らせ>みたいのが置いてあるの結構好きなの。
私も見ちゃいます。
”人対人”って感じで素敵だと思う。
それはきっと手間がかかるし、何千人の学生に対してそんなことは出来ないのかもしれないけど。温度感をもった対応できるといいなぁ、と。
自分の思っていた大学生活とはまたコロナがあったからいろいろ違う感じがします。
そうだね。 なかなか窮屈だよね。
その窮屈さって、そこを飛び越えていいものができることもあると思うんですけど、大学は4年間で終わっちゃうしと思って。限られているなあというか。 あと一年半しかないのか...と最近思います。多分、本当の自分の楽しさってここじゃないんだろうなあっていうか、行ききれない感じとか、すごくあります。
多分そういう「大学が窮屈」みたいなのを、大学の中で爆発させるみたいな、良い感じのループがかつてはあった気がするんだけど。真っ向勝負的な。今は大学が窮屈だったら大学じゃない場所で楽しいことなんかいくらでも探せるから。それも含めて、考えなきゃだよね。
先生と学生が直接しゃべってコミュニケーション取る以外にすぐできる策がないですよね。
そうだね。話して見つけて「やってみる」をやってみるしかないから。やっぱりちゃんと話をしたい。
多分みんな同じ気持ちだと思うんですけど、私たち側からしたらこういう先生が身近にいてくれるとすごく嬉しいです。
今日は長々とありがとうございました。
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授業中の鳥海先生
授業風景
インタビュアー&助手の斉藤さん