庭と椅子

「庭と椅子」

 

2022年の3月から友人が椅子製作を始めた。それは友人の祖父母の“庭”で行われた。これは、その製作と庭の断片的な記録。

 製作の工程を追いながら月に数回そこを訪ねた。初めは製作自体を主に写真を撮っていた。しかし、撮影に訪れる度に表情を変え蠢いている“庭”にも自然とレンズが向くようになっていった。庭という小さな空間にも大きな自然のサイクルが在る。その身近な存在の中にある環を感じることの喜びは、何か大きなものに向かう感動とは全く異なるものだった。

 何回か撮影をしていくうちに、私は椅子づくりという具体的な何かを見つめているのではなく、「ものづくり」という行為を観ているのだと思えてきた。そして、この誰かが何かを作っているという光景というのは、私にとっては何か特別なことではなく以前から知っている見慣れた光景だった。

 ものを何か一から作ろうとすると、今では「サスティナブル」や「持続可能」というような言葉がついてまわる。社会ではどこもかしこもSDGsを謳い、誰もを輪の中に組み込もうとする。しかし、それらを謳っている人たちの言葉は大事なことであると理解はできるが、私にはどこか気持ち悪く感じる。私のこの気持ち悪さはというのはおそらくそんなに高らかに目標を掲げて叫ばなくても、人はそれらをすでに持っている・そしてそれらはすぐ隣にも存在していると知っているからだ。 

光安 匠