技術の進歩は否定できませんが、逆に環境はどんどん悪くなっています。 ゴミがあちこちに見られるだけでなく、いわゆる「環境保護はみんなの責任」というスローガンも空しくなってきています。 海外の環境はもとより、国民の質が高い日本でさえ、廃車の山、草むらに散乱するゴミ、川に浮かぶペットボトルなどがあるのです。
私たちは世界中でプラスチックを捨て、原発の廃液を海に流している国もあります。私たちは、ゴミを川に捨てればゴミは自然になくなると思っていますが、そうではありません。大小さまざまなプラスチックが川を通じて海に入り、海洋生物はプラスチックを食べて、体内に有害物質を蓄積します。海は人間がタンパク質を得る主要な場所の一つであり、やがて人間が 魚の生産物をサルベージして体内に吸収し、その中に残った有害物質が様々な病気の原因となるのです。
私たちの生活のほとんどすべては地球からもたらされ、誰も地球から離れては生きられず、私たちの所有や享受の物質的側面はすべて自然環境からもたらされているのです。環境を守らなければ、生物としての私たちが適応できない環境の変化がより劇的かつ急速に進み、私たち自身の生存が維持できなくなったり、コストが劇的に増加したりする--そしてそのコストの増加は、さらなる環境問題の発生や将来的により深刻な環境危機、すなわち人類の存亡の危機を招くことになります。環境に対するコストはさらに高くなります。人間社会が自らの生存に重大な影響を与えるほど環境を変化させることが証明されている以上、環境保護の意義は疑いようがないでしょうか。