街の記憶

齊藤瑠久

 

写真が印刷された絵葉書は明治時代より長らく流通されている。それらが時を経た現在、

映された場所の歴史を知ることができる貴重な資料となった。過去の写真と現在の風景

を見比べると、今我々が見ることができる景色は過去にどのような景色をしていたのか

認識できる。この作品は過去と未来が地続きであるこや歴史認識を視覚的に理解する

為に、東京都市部の風景写真明治や大正、昭和初期の絵葉書写真を合成させた。 

 

 

1,馬場先通り

 三菱が明治政府から払い下げられた丸の内の馬場先通りを開発した。1894(明治27)年

に竣工した有名な三菱一号館などがある。イギリスのジョサイア・コンドルが煉瓦造りの

建物を設計した。これらの西洋建築が立ち並んでいることから、「一丁倫敦」呼ばれた。

皇居の馬場先門は取り壊されていて現存していない。

 

2,浅草寺 仲見世

 浅草寺の仲見世は江戸時代中期頃に始まり、賦役の人々が特権として出店の営業を認め

られていた。次第に賑わった門前街へ成長したが、明治新政府により煉瓦建築の店舗に改

築された。しかし関東大震災によって倒壊し、鉄筋コンクリート造りになった。戦争時空

襲により再度倒壊するも、すぐに復興した。絵葉書の写真は関東大震災の被害で赤煉瓦が

倒壊した様子。

 

3,上野広小路

 1657(明暦3)年、明暦の大火ののちに火除け地とされ、現在の広い道幅となった。上野に

ある松坂屋は、元々上野にあった本来の松坂屋を1768(明和5)年に名古屋の伊藤屋が買収し

たことで、いとう松坂屋となる。尾張徳川家の御用を務める呉服屋であり、上野広小路に

おける看板店であった。

 

4,深川黒亀橋

 元々この付近にあった閻魔堂橋は、江戸時代からの歴史があり歌舞伎の演目にも登場する。

旧十五間川の南に掛け替えられたのが深川黒亀橋で、関東大震災では路面電車の線路が宙吊

りになるほどの被害を受けた。富岡橋と名前を変えて復興されたが、現在は川が埋め立てら

れたことで撤去されている。

 

5,霞ヶ関

 写真の手前の建物は法務省旧本館である。法務省は、頓挫していた霞ヶ関の官庁建設計画

の思想 で、1895(明治28)年にネオ・バロック様式で建設された。ドイツ人のヘルマン・エン

デと河合浩蔵が設計する。関東大震災では無傷だったが、太平洋戦争の空襲で内装と屋根が

焼失した。その後も修復し使い続けたが、歴史的建造物であることから建設当時の外観に修

復し直され現在に至る。

 

6,日本橋

 奉祝という文字が置かれている。合成した絵葉書は、1924(大正13)年6月5日に皇太子、後

の昭和天皇のご成婚記念で街が祝祭ムードになっている様子を写したものだ。絵葉書の説明

書には東宮殿下と書いているが、東宮は皇太子の居所。日本橋は現在高速道路に覆われてい

るが、当時は空の下にあって広々としていたことがわかる。

 

7,上野公園 東京大正博覧会会場

 東京大正博覧会は1914(大正3)年に開かれた。この博覧会では、国産自動車やエスカレー

タ、ケーブルカーと称されたロープウェイも展示された。写真のロープウェイは不忍池、辯

天堂の東西両岸を行き来していたようだ。このロープウェイは東京で最初に運行されたとす

るもので、日本で初めて運行されたのは大阪のルナパークである。 

 

8,四谷見附

 四谷見附橋手前から新宿方面を望む。絵葉書は1924(大正13)年6月5日の皇太子、後の昭

和天皇ご成婚奉祝記念に撮影されたもの。奥に写っている市電は新宿と月島を結んでいたが、

1968(昭和48)年に 廃止。四谷見附橋と新宿通りの拡幅工事の為に面影は残っていない。

 

9,万世橋駅跡

 万世橋駅は1912(明治45)年に開業、1943年(昭和18年)に休止された。開業当時は中央本線の

終着駅であり、辰野金吾が設計した赤煉瓦造りの駅舎だった。 しかし1923(大正12)年の関東大

震災で駅舎が半壊。中央本線が神田まで延伸したことで利用客が減ったことで休止し、旧鉄道

博物館以外は解体された。駅前には日露戦争で英雄とされた広瀬中尉と杉野兵曹長の銅像が設

置されていた。現在はJRのコンファレンスビルが立っている。

 

10,上野公園から広小路方面を望む

 上野公園の台地から上野広小路へと続く階段にて撮影された写真を合成した。上野広小路は

江戸時代から火除け地としていた為、道幅は変わっていない。左側の「仁丹」という文字は、

大阪の製薬会社の広告塔であり「仁丹塔」と呼ばれていた。

 

11,日本橋 凱旋門

 1905(明治38)年9月に日露戦争で日本が勝利した。その翌月に勝利記念祝いで日本各地に凱旋

門が設置された。大体は一週間で作られたハリボテで、祝祭後にはすぐに取り壊された。日本橋

の袂にあった凱旋門の屋根部には旧日本橋区の徽章が掲げられている。なお、この凱旋門に貼ら

れた円形のデザイン物は、絵葉書の上からラメをまぶして豪華さをさらにアピールしている。当

時からデコレーション文化はあったようだ。

 

12,両国 旧国技館

 初代国技館が1909(明治42)年に回向院境内にて建設された。設計者は辰野金吾。見た目が傘に

似ていることから「大鉄傘」と呼ばれた。1958(昭和33)年に日本大学によって買収され、日大講

堂となった。プロレスやボクシングなどの興業、日大闘争の舞台にもなる。老朽化により

1983(昭和58)年に解体され、複合ビル「両国シティコア」となり現在に至る。

 

13,京橋 凱旋門

 1905(明治38)年10月、日露戦争勝利により日本全国に凱旋門が設置され、京橋にも袂に建設さ

れた。京橋の凱旋門は和風建築をイメージした珍しいもの。京橋自体は1901 (明治34)年鉄橋に架

け替えられ、その上に路面電車が走った。現在川は埋め立てられているので橋が撤去され、欄干

が一部モニュメントとして残っている。