畏敬の遺産

角口未夢生



 

 

紀伊半島東南部に位置する、甦りの地、新宮。

 

街のそばには黒潮が流れ、南の風が心地よい。

四方が深く険しい山々と荒々しく壮大な海、民の安らぎとして堂々たる熊野川に囲まれ、

豊かで驚異的な大自然に恵まれたこの地。

 

古くからの自然崇拝を原点に神仏習合の興りを経て、現在の熊野信仰が根付いた。

烈々たるも荘厳な大自然の数々を神の栖とし、

慎み深く獰猛な動物達を神の物とし、

それらと気高き熊野大神に対し、新宮人は祭事文化をもって深い畏敬の念を抱く。

熊野大伸もまた、深い慈しみをもって、

大自然や動物、人々や文化を創り、守り続けてきた。

 

今もなお、まちには神聖なる遺産が数多く宿ることから、

常世と現世、神域と俗界が入り乱れつつ共存しており、

主祭神として伊弉諾尊(生の国)と伊弉冉尊(黄泉の国)を祀ることから、

生と死の狭間に揺れる地であることもまた、

この地が放つ、深く異様なオーラへ通ずる。

 

 

古くから新宮のまちは、

深く険しい山々も荒々しい海をものともしない進取の気性を持った男たちを育んだ。

 

新年を迎えるにあたり行われる御燈祭りは男祭りであり、

上り子と呼ばれし二千を超える男達は一週間前から女性を断ち、潔斎する。

そして祭日、白装束と荒縄を身にまとい、火を灯した松明を分かち合いぶつけ合いながら、

山は火の滝、下り龍、猛者の群れ如く、神倉山から急で険しい石段を駆け下り、自身の家まで走り続ける。

 

女人禁制文化の元、新宮の女は実に謙虚でたおやかに、新宮の男を支え続けた。

男には触れず近付かず、健康と安全を願い、祭りごとではごちそうを用意し男を待つ。

男を産めば、幼き頃から火を持たせては神倉山へと送り出す。

そして男を深く敬い、愛す。

新宮の女は繊細ながらも強く誇り高き存在であり、今宵も家で男の帰りを待っている。

 

 

斯様な男文化の地に、男に勝る気性が強い女が産まれた。

新宮の女に似合わず、勇敢に自然に立ち向かい、神倉山に上り遊び、川や海に深く潜り、

何時も父に従事しつつも自立した心を持つ鋭く強い女であった。

 

彼女は熊野権現に対し、より一層の畏敬の念を抱き新宮にて生まれ育った。

そして新宮遺産への思いを胸に、畏敬の念を筆より表した。

 

女、私の血を辿る場所、私の母である。

 

「人間は裸で母の体内から生まれた。純正の空気と水と、母の乳で育てられた。

今一度戻ろう、母の元へ。生まれたままの無垢な姿で。人間は自由であり、平等であり、愛の器である。

霊地熊野は真の人間を生み、育て、慈しみを与えてくれる所である。熊野の光、熊野の水、熊野の風。岩に耳よせて声を聞こう。

たぶの木のそよぎの語る往古の物語を聞こう。」※

 

新宮で生まれ育った作家、中上健次はこの言葉を残し、実母に看取られ黄泉へと向かった。

 

 

その言葉のごとく、

私の血はいまひとたび、

純真な心を持って、母なる新宮の気高き尊厳と慈しみへ求め還り、

この地の奥深き過去や未来に思いを馳せ、

熊野権現より恵まれた遺産へ、畏敬の念を禁じ得なかった。

 

我が祖先より遺された誇り高き遺産

久遠の信仰と共に当世に生きる。

 

 

 

※(一九九〇年六月三日 中上健次 熊野大学開校式挨拶「真の人間主義」より)