多摩川

2019年10月の東日本台風で、川崎市・東京世田谷区の多摩川流域には大きな浸水被害が発生した。この災害は、多摩川とともに暮らす市民に対し、異常気象や持続可能な流域での生活について考えることを迫った。しかし、多摩川はなにも恐ろしいものではない。江戸時代から平等に水資源を分け与える仕組みが考えられ、川を渡る要衝として発展をもたらし、風光明媚で自然に触れられる貴重な天然資源である。多摩川の付き合い方について、我々はこれからも考え続けなければならない。

溝口6丁目 浸水

 溝口6丁目において発生した、バックウォーター現象による逆流・氾濫を取材するテレビクルー。死者1名を出したこの現象は、多摩川の水位上昇によって行き場を失った支流平瀬川の水が山側へ逆流するもので、溢れた水は海抜の低い土地に流れ込んだ。

水浸しの住宅街

 被災した家財道具の整理を行う住民と、溢れた水をポンプで平瀬川に戻す様子。これを教訓に川崎市では、移動式ポンプ車やポンプゲート、ポンプ場など様々な排水設備を充実させた。

沈む兵庫島

兵庫島は、東京側岸で分岐、国分寺に至る野川との中州に整備された公園である。もっぱら親水を目的とした場所で民家などはなく、台風時は遊水地の役割を果たすため水没すること自体は珍しくない。

根絶 無堤防地帯

 ここはこの地区最後の無堤防地帯で、東日本台風でも氾濫が発生した兵庫島入り口。死者こそ出なかったが、この災害を教訓に急ピッチで堤防を築堤、永らく問題視されていた治水のウィークポイントは解消された。

川の見えない堤防

 街なかに突如現れる二子玉川の堤防。マンションが立ち並ぶ裏には多摩川と野川の合流地点が流れているが、この一帯は無堤防地帯と呼ばれ、治水の面から問題とされ、東日本台風でも氾濫被害が発生した。かつては大山街道の宿場町として、多摩川の景色を楽しめる料亭が立ち並んでいた。これらの料亭は眺望を破壊する堤防築堤に反対、料亭街が堤防内になったという歴史的経緯がある。

さらば 多摩川スピードウェイ

 本田宗一郎も走ったという伝説のサーキット、「多摩川スピードウェイ」。太平洋戦争以前、アジア初の常設サーキットの観客席の遺構である。80年以上前のサーキットの名残が現代まで遺されているのは、世界的に見ても非常に珍しいもので、2015年には有志らによって記念プレートも設置されたが、今回の堤防改修で取り壊しが始まった。人命と歴史、天秤にかけるのであれば前者の方が守られるべきではあるが、今日の自動車産業の礎の一つに触れる場所が失われることは、大きな損失であるに違いない。

被災の只中 川崎市民ミュージアム

 等々力緑地内の川崎市民ミュージアムは、地域の歴史博物館と、写真・漫画・ポスター・映画などを収蔵する美術館の側面を持ち合わせる複合文化施設である。多摩川の流域に至近であるがゆえに、東日本台風での被災では多くの収蔵品が被害を被った。現在でも収蔵品の修復は行われており、市民ミュージアム自体も同地での再開を断念、新市民ミュージアムの立ち上げ計画を画策している。2年前の災害が未だ終わっていないことを、市民ミュージアムは示している。

渋滞する二子橋

 かつて矢倉沢往還、大山街道と呼ばれていた時代、多摩川は江戸城の防衛線としても機能していたため、架橋が制限されていた。そのため、両岸は「二子の渡し」という渡し船で結ばれていた。渡し船は天候や川のコンディションに左右されるため、足止めを食う旅人を受け入れるべく「二子・溝口宿」として宿駅に指定。これが今日のニコタマや溝の口のルーツである。

 やがて二子橋が架橋、鉄道が通り、大山街道も国道246号線となると、都心のベッドタウンを結ぶ大動脈へと発展した。現在ではバイパスとして新二子橋が上流に架橋され、旧道となった二子橋だが、片側1車線という能力に対して多摩沿線道路とのアクセス性のよさからか、交通量が非常に多い。特に夕ラッシュ時間帯は連日渋滞が発生するボトルネックとなっている。

平地の滝 二ヶ領宿河原堰

 利水施設というと、山間部にあるダムを思い浮かべるだろう。堰という形で、下流にもそれは存在する。多摩川最下流に位置する宿河原堰は、二ヶ領用水の流れを取水する施設で、世田谷通りや小田急などが通る登戸の近くにある。今の堰は可動式となっており、洪水時対策として解放できるようにもなっている。二ヶ領用水は、江戸時代徳川家康公の命により開削された農業用灌漑用水で、ここから流れるのは宿河原用水という支線である。

公平な分水 久地円筒分水

 国の登録有形文化財に指定されている川崎市の史跡、久地円筒分水。かつては水資源を川の流れから分けるようにされたが、それでは川の流れの強弱によって水を多く獲る地域と水が流れてこない地域が生まれ、不公平な状況にあった。それを噴水の原理を利用して全周囲に水を再分配することで、4本の用水路に話し合いで決められただけの量の水が流れるようにしたものが、円筒分水である。

 多摩川の水はときに恐ろしい自然の猛威を見せる。しかし、普段はその清らかな流れで人々を潤す命の水でもある。我々多摩川の流域民は、多摩川とともに生き続けることを考えねばならない。SDGsのような付き合い方を自然と共にするのであれば、まずは身近なものから見聞を広めることから初めてみるのはどうだろうか。

61A110-9 野中晴瑠