東京の湾岸部はここ数年で大きな転換期を迎えている。その軸にあるのは、東京五輪、パンデミック、大規模な開発…常にどこかで解体や建設が行われ、大地そのものも東京湾に向けて膨張し続けている。毎日東京に通う人々のどれほどが、ほんの10km先の「東京24区」に気づいているだろうか。約6年余りの記録、地の果ての姿に焦がれて――。
大川端リバーシティ21
佃島・石川島は、隅田川河口に古くから存在していた三角州をルーツとする島である。造船を始めとした日本有数の重工業分野を担う、石川島播磨重工業(現:IHI)の創業地でもある。明治期の隅田川河口整備事業によって埋立範囲が拡大し、月島と一体化して現在の姿となった。この整備事業こそ、現代の東京湾埋立開発の黎明となる。平成期に入ると広大な佃工場(石川島播磨重工業)跡を活用した大川端リバーシティ21が整備されて今に至る。この事例はウォーターフロント開発においてもごく初期のものにあたり、まさに東京湾岸始まりの地と言えるだろう。
月島
月島は石川島と地続きで、歴史ある人工島である。そのため人家、特に長屋が発達し下町の様相を呈している。名の由来は築島、築かれた島である。今やそこら中に人工島がひしめく東京、それがまだ特徴的と見做される時代からある土地だということを示している。
築地
築地は読んで字の如く、築かれた地である。ただし島ではなく、陸続きの海岸線を埋立て伸ばした埋立地という意味合いを持ち、徳川幕府によって造成された。日本有数の国際港である東京港の幾分かは、このような陸地を伸ばした埋立地によって成り立っている。
さて、築地といえばいの一番に思い浮かぶのが築地市場だ。83年間東京の台所として役割を担い、今でも残る場外市場が観光客を呼び寄せている。早朝のマグロの競り見学は人気が高く、概ね午前2時には満員となる。最終日は異例の午前0時に受付を終了、見学者は詰め所で夜を越した。その中ではちょっとした大捕物があったが詳しくは語るまい。
2号ドック造船クレーン
関東大震災の瓦礫によって埋め立てられた豊洲。豊洲石炭ふ頭を中心として、新東京火力発電所や東京ガス豊洲工場と共に工業の街として発展した歴史を持つ。近代化した造船所として石川島播磨重工業の深川第一工場(後の東京第一工場)も設けられ、護衛艦や客船ぱしふぃっくびいなすなどの名船を輩出した。
平成期にはいずれも稼働を終え、市場や市街化再開発が行われることとなった。その中で特に造船の街であったことを後世に伝えるようなまちづくりが行われている。当時のドックやクレーン、船の部品など50点余りが産業遺構としてモニュメントにされ、街中で見ることができる。特に昨今はタワーマンションやオフィス街、商業施設も揃うウォーターフロントの代名詞として注目を浴びている。
舟旅通勤
東京五輪の交通規制に伴う道路需要の逼迫を見据え、2019年より実験が行われたのが舟運の活用である。東京湾岸部は隅田川や東京港によって地域が細かく分断されており、対岸に見える場所へ渡るまで何十分もかかることがある。それをショートカットする手段として、東京都は船に活路を見出している。第一弾の最終日には小池都知事も視察として乗船。先日行われた第二弾では夕方便も設定され、アフター5を屋形船で楽しみながら家に帰る新しい通勤スタイルを提唱した。舟運自体は江戸時代に徹底的に水路が築かれ、関東大震災以降東京は船を災害時の輸送手段として整備された。これが東京港のルーツにもなっている。しかし都市化と共に海洋文化から離れてしまった節が、特に東京にはある。水辺活用に立ち返るのは、今だからこそ必要なのかもしれない。
晴海客船ターミナル
海に面した東京、空の玄関口羽田に対して海の玄関口も存在する。それが晴海客船ターミナルである。渋谷109で知られる竹山実氏により設計され、これまで数多くの客船を受け入れてきた。また南極観測とも非常に関わりが深く、第一次観測(当時は晴海ふ頭)からほぼ毎回出港地として選ばれてきた。平成に入ると、東京港連絡橋(後のレインボーブリッジ)の整備が進み、橋下の空間は当時最大の客船クイーンエリザベス2が晴海に接岸できるようこの姿とされた。しかしそれを超える超巨大客船が続々登場、これらは晴海まで入ってくることができなくなってしまった。
大汐線
東京の都心には、ひっそりとしかし広範な貨物用の休止線が存在する。それが東海道貨物線(通称:大汐線)である。大井ふ頭の輪郭をなぞるように浜松町から大田市場の間敷かれた線路は、25年の間に草木が茂ってしまった。現在はJRによる羽田空港アクセス線のルートとして、大汐線を再活用する計画があり、この荒涼とした風景も一変することだろう。
夢の大橋
お台場青海と有明地区を結ぶ歩行者専用橋夢の大橋。シンボルプロムナード公園の一角を担っている。近隣の東京ビッグサイトは日本屈指の展示場施設として、特に中小企業にとっては欠かせないビジネスの生命線である。東京2020オリパラ大会のメディアセンターとして長期間貸し切られることが決まり、2019年には半数のホールを閉鎖しての改修工事が開始。展示会を満足に開けないことでの経済損失が取り沙汰され、「2019年問題」と大手メディアにも取り上げられた。そんなさなかに催された日本最大のイベント「コミックマーケット」も、日程を異例の4日間に増やし出展数の確保を行った。夢の大橋が入場待機列で埋め尽くされたのは、後にも先にもこの日だけである。
東京国際空港(羽田空港)
欧州3国歴訪を経て東京・羽田空港へ帰国した安倍首相(当時)並びに昭恵夫人。この日は着陸するやいなや新型政府専用機の視察が行われ、新旧政府専用機がVスポットに並んだ。銃弾に倒れるおよそ4年前の出来事である。本格的な国際化に伴い名実ともに日本の玄関口となった羽田空港は、歴史に名を残す人物も数多く訪れる。
お台場海浜公園
東京有数のレジャーエリア・お台場。都心としては稀有な砂浜を擁するのは、お台場海浜公園である。伊豆諸島の神津島で採取された砂は800mにわたって敷き詰められ、臨海副都心のビル群と共に独特な風景を演出している。
閑話休題。ここまでは、主に世間一般の抱く東京湾岸の日常風景に近い姿、そしてパンデミック以前の東京を眺めてきた。首都ならではの賑やかで美しいばかり、成熟した都市機能と街並み。古いものも新しいものも共存し、いつでもそこに或る風景。しかしここからは綴り直しである。今伝えたい東京湾岸のスクラップアンドビルド。思い出や歴史には一文の価値も顧みずスクラップに変容する副都心の転換点。海は陸地に、ランドマークは更地に。東京の果てには何があるのだろう。
環状2号線
東京2020オリパラ大会を契機に、東京湾岸部の各競技場並びに選手村とメインスタジアムである新国立競技場を連絡する道路として環状2号線の整備が現在に至るまで進められている。計画区間には築地市場があり、全通には築地市場解体が必要であった。しかし小池都知事による豊洲市場移転の問題化で工期が伸び、大会ではなんとか間に合わせた暫定道路が活用された。大会後も本線となる最後のトンネル区間の建設が続けられ、昨年の12月をもって全線開通の運びとなった。
豊洲市場や有明エリアの開発が盛んな時期にも重なり、環状2号線以外にも新しい道路が続々と整備されていた。その過渡期には空の如く真っ青な道路看板をそこかしこで見ることができた。
月島三丁目北地区第一種市街地再開発
石川島の工場関係者が長屋に住まい、発展した月島。当時の姿を色濃く残し、もんじゃストリートとして観光地にもなっている。醸す生活感はここが埋立地であることを忘れてしまうほどである。しかし勝どき方面は既にタワーマンション開発が進められ、その波が月島にも押し寄せている。
月島三丁目北地区は、もんじゃストリートの隅田川寄りを占める一角で、現在は既に立ち退きが完了している。フェンスや足場に囲われ、じきに高さ199mのタワーマンションへと変貌を遂げる。月島のみならず、下町は道の狭さ、建築様式、密集した街区といった要因から防災上の懸念が存在するのは事実である。
島内の大川端リバーシティ21と異なる点としては、その立地が工場跡か住宅地であるかというところにある。前者は完全に新しい街を創る感覚だが、後者は街の新陳代謝を図るという発想だ。故に本計画に対しては反発的に考える住民が存在している。彼らの対案は、長屋のリノベーションをはじめとしたコンパクトな再開発だ。
日本は可住地面積の限られた災害大国であると同時に、ガラパゴスな文化を持つ国でもある。タワーマンションは一つのソリューションだが、高度経済成長期の団地と同様、持続可能性の懸念と災害時の脆弱性を孕んでいる。月島のみならず、防災と伝統のギャップに悩まされる街はこれからも現れるだろう。
築地市場閉場
2018年10月6日、歴史ある築地市場の閉場を迎えた。東京都中央卸売市場の機能は、東京ガス豊洲工場跡地に建設された豊洲市場が引き継ぐこととなり、豊洲開場までの数日は引っ越し作業が行われた。その際、当時未供用の環状2号線が活用され、ターレットトラックが道路を大移動する様は話題を呼んだ。
築地市場の建屋は、かつて銀座や豊洲、日の出方面に伸びていた貨物線の駅舎を兼ねていたことから、独特なカーブを描いていた。東京2020オリパラ大会の会期に間に合わせるべく、環状2号線に干渉する部分から優先的に解体され、暫定道路が敷設。会期中はこの区間は関係者専用道となり、また更地となった部分も選手輸送バスの巨大基地として整備された。このバスは全国のバス事業者から貸し出されており、大阪や名古屋はもちろん九州北海道のバスも数多く築地に集結した。国民の多くはテレビでしか東京オリンピックを観ることが無かったが、その裏では日本中から結集された想いとリソースが確かにあったのだ。
世界貿易センタービル
世界貿易センタービルは、竣工した1970年当時東洋一の高さを誇る超高層建築であった。ワールドトレードセンター連合に所属する貿易拠点で、同名のビルは世界中の大都市に設けられている。911で崩落したニューヨークのワールドトレードセンタービルもその一つだった。浜松町が選ばれたのは、羽田空港や東京港、都心のいずれにも近い優れた立地なためである。それから50年余り、老朽化や浜松町の再開発に伴い、解体される運びとなった。162mという高さの建物は我が国を見渡しても解体事例が存在しない。そのため、解体工事は建設を施工した鹿島建設が担当し、世界貿易センタービルのために開発された「鹿島スラッシュカット工法」が用いられている。跡地には新たな世界貿易センタービルが建つ予定である。
高輪橋架道橋
品川・泉岳寺に横たわるJR山手線・京浜東北線・田町電車区・東海道線・東海道新幹線の下を潜る道路で、札の辻と八ツ山の間では唯一線路を越えることができる道だ。そのルーツは、日本初の鉄道敷設当時に確保された水路だとされている。この一帯は当時の海岸線であり、八潮や港南のビル群さえもかつては海だったのだ。このような出自から高さが170cm(道交法的には1.5m)しかなく、タクシーのドライバーからは「行灯殺し」などと呼ばれた。ガードに行灯が直撃して落下する事故が度々起こるため、この道路のためだけに小さい行灯を載せる会社も少なくない。この他にも「首曲がりトンネル」「おばけトンネル」などの俗称もある。
この架道橋付近には、山手線30番目の新駅高輪ゲートウェイ駅が設置された。これは旧田町電車区の再開発を見据えたもので、プロジェクト名の「グローバルゲートウェイ品川」を由来としている。開発進捗に伴い本道は歩行者専用道に改められ、今なお通行人は少なくない。日本最古の鉄道遺構である高輪築堤の出土で、ユネスコを巻き込んだ一波乱があった。それと比較して、一見するととても遺構には見えないが、高輪橋架道橋もまた東京の海岸線推移を語る隠れた証人なのである。
HARUMI FLAG / 東京国際クルーズターミナル(青海)
東京2020オリパラ大会の選手村として周辺に多数の居住棟が建設された晴海ふ頭。当初より選手村は三井不動産がHARUMI FLAGとして分譲することが決まっており、秋まで改修工事が続いている。ここ数年は無数の無人マンション街といった独特な様相で、周辺道路も仮設の状態。そんな中稼働していた晴海客船ターミナルも、2022年2月20日をもって閉館した。竹山実氏の名作は今まさに姿を消そうとしている。
一方レインボーブリッジの手前に新しく整備された晴海の後継施設、東京国際クルーズターミナル。東京大会を見越して完成したものの、無観客開催だったため外国船の寄港は全てキャンセル。実にひっそりとしたオープンとなった。豪華客船ダイヤモンド・プリンセスの集団感染で厳しい逆風を受けるクルーズ業界だったが、国内航路から徐々に再開。新たな海の玄関口として、出港時の賑わいはかなり戻ってきている。南極観測隊も東京発着を取りやめていたが、昨年11月出発の第64次隊より東京国際クルーズターミナルを初出港した。
夢の大橋(競技期間用聖火台)
オリンピック・パラリンピックの期間中灯される聖火。新国立競技場には聖火台の常設がされなかったため、東京2020オリパラ大会の会期中はここ夢の大橋に少しスケールダウンした聖火台が設置された。大会史上初のカーボンニュートラルを標榜した聖火として、大会スポンサーのENEOSが提供する水素を燃料としている。水素だけでは炎の色が出ないため、重曹の炎色反応によって自然な色が演出された。
青海臨時駐車場
お台場・青海一帯はかつて世界都市博覧会(通称:都市博)の会場となるはずだった。パビリオンの一部はそのまま臨海副都心の施設になる予定で、パンフレットやパビリオン建設も着工された。しかし新たに就任した青島都知事によって中止が決定。都市計画が完全に蒸発したお台場は、冬の時代を迎えることとなる。しかし幸いなことに、お台場海浜公園やデックス東京ビーチなどのレジャー施設が人気を博した。都も事業用定期借地権によって空き地を格安で貸し出したことから、様々な商業施設が誕生。ただこれには契約更新に制限がついており、今まさにその期限が続々と訪れている。この青海臨時駐車場は東京都系の旧第三セクターが運営しており、その広大な立地を活用したイベントスペースとしてしばしば利用されている。
青海E区画(大江戸温泉物語跡)
コンテナ埠頭の傍らに広がる空き地、ここにはかつて温泉テーマパークが存在していた。江戸開府400周年を記念して華々しくオープンした大江戸温泉物語もまた、事業用定期借地権を活用した施設である。契約は20年、これは当時の借地借家法の上限年数である。故に事業自体は好調であっても更地返還を余儀なくされてしまった。現在青海E区画の開発計画は無く、揺れていた柳の葉も賑わっていた櫓や模擬店も、その面影すら顧みることはできない。
パレットタウン
青海ST区画の定期借地権を射止めたのは、トヨタ自動車や森ビルなどのグループだった。各々が独自の施設を建てるよりも一体的な開発をすることでエリアの活性化につながるとして、共同で複合施設を興すこととした。ヴィーナスフォート・ZEPP TOKYO・パレットタウン大観覧車・ネオジオワールド東京ベイ・MEGAWEBからなるパレットタウンは、新たなお台場のシンボルとして注目を浴びた。どの施設も唯一無二の個性が光り、プロポーズの場として、名車と触れる場として、ライブの聖地として、思い入れを抱く人は少なくない。契約年数は10年で、2010年に契約満了を迎えていた。ただこの時点でトヨタ・森ビルがST区画を買い上げており、大江戸温泉物語とは異なっている。本来更地にした上で新たな開発が行われる予定だったが、ここにリーマンショックが重なったことで計画の先送りがなされていた。
2021年末より徐々に施設の閉館がはじまり、22年8月をもってパレットタウンは全館営業を終了した。すっかりお台場のシンボルとなっていた大観覧車も解体されたが、そのゴンドラはトヨタの保養施設にもなっている鹿島槍スキー場で活用されることとなった。トヨタ側のT区画はBリーグアルバルク東京のホームスタジアムとして再開発が予定されているが、森ビル側のS区画は未だ使途が決まっていない。そのためヴィーナスフォートだけは解体の手が入っておらず、ひっそりと佇んでいる。
東京東航路(東京ゲートブリッジ)
東京臨海部として多くの人が認識しているのは、お台場以北の範囲であろう。それよりも南は未だ立ち入ることも憚られる倉庫やふ頭、そして未開発の新たな原野が広がっている。ここから見る東京都心は、蜃気楼か幻か。この先もまた確かに、東京特別区の一部である。
東京都大田区令和島1丁目2 / 東京都江東区海の森2丁目3
お台場よりも更に南の島、中央防波堤内側・外側埋立地。1980年代に埋立が始まったエリアで、羽田空港第2ターミナル付近も同時期に造成された。東京に生まれた新たな大地を巡り、中央区・港区・品川区・江東区・大田区の5区が当地の帰属を主張した。これは紛れもなく、東京で実際に存在した領土紛争である。うち3区は主張を取り下げたが、大田区は区民が海苔漁場として活用していた歴史を、江東区は埋立地造成に伴う区民の忍耐と犠牲を掲げ、互いに一歩も譲らなかった。21世紀に入っても膠着状態にあったが、東京2020オリパラ大会の水上競技場並びにクロスカントリーコースが中央防波堤に設置されることが決まり、大会開催前の決着を目指して判断を東京地方裁判所に委ねた。結果、約100haは大田区、約400haは江東区の帰属とする折衷的結果が言い渡され、約40年に渡る領土紛争は終結を迎えたのである。それぞれ新たに「令和島」「海の森」という住所が公募で決定した。昭和に生まれた土地が、現元号「令和」の名を与えられるまでの時に思いを馳せて。
中央防波堤外側埋立地 / 新海面処分場
中央防波堤へつながる道は、東京港トンネル・第2航路海底トンネル・東京港海の森トンネル・東京ゲートブリッジの4本がある。そのいずれもが自動車専用道で、唯一歩道があるゲートブリッジも中央防波堤側の昇降施設が閉鎖されているため、徒歩でこの島に上陸する術はない。ただ島内には環境局の庁舎やごみ処理施設などが点在するため、職員や労働者の通勤の足として都営バスが乗り入れている。東京テレポート駅から一定数運行されており、公共交通機関としては唯一の上陸手段である。島内の探索にあたっても大きな交差点に横断歩道が無いため、場所によってはかなりの大回りが強いられる。コンビニはおろか自動販売機も満足に無く、無計画に足を踏み入れるのは避けた方がよい。ところどころ雑草が生い茂り、吹きさらしのごみ処理工場はカラスが闊歩する。これは都心からたった10kmにも満たない東京特別区の光景である。
新海面処分場 帰属未定地
都民の生活によって排出されるごみの最終処分場、新海面処分場。ここがその最前線である。東京は今なお膨張し、埋め立て可能な東京港域の果てはもうすぐそこに迫っている。都心を借景に広がる草原。埋立の終わっていないこの区画は、まだどこにも属していない。未来の人々は、東京の果てに何を見るのだろうか。