私の故郷は広島である。そして曽祖母、祖母、祖母の姉たちは被爆者だった。曽祖母たちの被曝体験は、原爆投下が他人事ではないと強く感じる機会となった。高校生の頃から広島の写真を撮り続けてきたが、卒業するにあたって、広島出身ではない写真家が広島とどのように向き合ったのか、そして私と同じく広島を故郷とする写真家がどのように広島と向き合ったのかということについて興味を抱いた。
本論文ではヒロシマを被写体に撮影した、土門拳、土田ヒロミ、江成常夫、石内都、藤岡亜弥を取り上げ、彼らの経歴、被写体に関する考察を行った。それぞれの写真家たちの作品を鑑賞すると主に3つの被写体とそこには属さない作品があることが判明した。1つ目に被爆者やその家族を被写体とした作品、2つ目に広島の場所や建物、風景を被写体とした作品、3つ目に被爆した物に焦点を当てた作品である。そして、以上3つの分類には当てはまらない藤岡亜弥の作品である。これらをもとに作品の比較と検証を行なった。
第1章では太平洋戦争について、そして1945年8月6日の広島およびその当時記録として残された写真について、第2章では被爆者を被写体とした土門拳『ヒロシマ』、土田ヒロミ『ヒロシマ1945~1979』、『ヒロシマ 2005』を取り上げた。第3章ではヒロシマの風景や建物、場所を写した作品、江成常夫『ヒロシマ万象』と土田ヒロミ『Hiroshima MonumentⅡ』を比較し、第4章では被曝の物質的側面に焦点を当てた石内都『ひろしま』、江成常夫『被曝 ヒロシマ・ナガサキ いのちの誓い』、土田ヒロミ『Hiroshima Collection』について取り上げた。第5章では原爆や被曝というような明確な焦点を当てず、写真家の故郷広島を被写体として撮影された藤岡亜弥『川はゆく』について考察した。
第6章では第1章から第5章まで取り上げた写真家、作品を通して広島と写真家の時代の流れと向き合い方をまとめた。彼らの作品を考察していく中で「原爆」そして「平和」を撮ることが「時間」という途方もない対象をテーマにしているということが明らかとなった。
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ヒロシマを撮った写真家たち
目次
はじめに
第1章 1945年8月6日 ヒロシマ
1-1 広島に原子爆弾投下−その背景
1-2 1945年8月6日−当日の記録
1-3 記録写真の歴史的価値
第2章 ヒロシマの人
2-1 土門拳『ヒロシマ』
2-2 土田ヒロミ『ヒロシマ1945~1979』、『ヒロシマ 2005』
2-3 土門拳と土田ヒロミの作品の比較
第3章 ヒロシマの風景
3-1 江成常夫『ヒロシマ万象』
3-2 土田ヒロミ『Hiroshima MonumentⅡ』
3-3 江成常夫と土田ヒロミの作品比較
第4章 ヒロシマの物
4-1 石内都の『ひろしま』
4-2 江成常夫の『被爆』
4-3 土田ヒロミ『Hiroshima Collection』
4-4 石内都と江成常夫、土田ヒロミの作品比較
第5章 藤岡亜弥『川はゆく』
5-1 藤岡亜弥『川はゆく』
5-2 藤岡亜弥と4人の写真家たち
第6章 全ての写真家を通して
6-1 土門拳と写真家たち
6-2 比較、検証を通じて
さいごに
付録 各写真家の略歴と出版物