思い出の場所を探して

小さい頃から、父の影響を受けて育った。

父は厳しく、幼い頃は少し怖いくらいだったが、父と出かけるのが好きだった。

街中の漢字から自動車やスキーまで、様々なことを父から教わった

 

父の車の助手席に座って、景色や車の運転をする父の姿を見るのが好きだった。

記憶にないが、助手席でないと嫌がっていたため、仕方なく乗せていたらしい。

 

マニュアルミッション車特有のシフト操作を、父が手を添えながら操作した記憶は、

今も鮮明に記憶にある。

 

年齢を重ねるにつれて、父の若い頃の話を聞くことが増えた。

若い頃の失敗の話、昔ならではの経験の話、若かりし祖父母との話など。

 

その中でも、昔乗っていた車の話が好きだった。

 

初めての自分の車となった2代目セリカを北海道で廃車にしてしまった話。

自分で初めて買ったTE71カローラハードトップの話。

情報がない中、自力で整備をしていた話。

 

そんな話を聞いていたある日、父が押し入れから古いアルバムを出してきた。

それは、父が若い頃に日本全国を巡った時のものだった。

若い両親の姿とまだ見ぬ街や風景に心を惹かれた。

 

懐かしそうに話す父の思い出の地を巡ろう。

そして、自分も親になった時、同じように子供に語れるようになろう。

 

こうして、私は父の思い出を巡る旅へ出た。

鳥取県岩美郡岩美町 ゆかむり温泉共同浴場(旧岩井浴場)にて。

当時の建物は解体されて隣に移転し、跡地は駐車場になった。

横断歩道だけが、当時を偲ぶことができる。

 

岡山県高梁市 吹屋ふれあいの森にて。

 

当時あった炊事場は撤去され、奥に見える滑り台も撤去されていた。

大鳴門橋にて。四国上陸の瞬間。

当時の父は(明石海峡大橋がないため)フェリーで淡路島を経由し大鳴門橋から入ったとのこと。

兵庫県南あわじ市 うずの丘 大鳴門橋記念館にて。

画面奥が大鳴門橋。日没ギリギリの到着になったものの、綺麗な夕日を見ることができた。

兵庫県淡路市 県立淡路公園にて。

駐車場は一部リニューアル工事中であった。

なお、父の記録にある「オウム事件」は『新宿駅青酸ガス事件』の初回と思われる。

兵庫県淡路市 県立淡路公園内「塩屋橋」にて。

2004年に更新され、塗装と歩道が改築された模様。

徳島県海部郡美波町 潮吹休憩所にて。

バランスを崩すと崖下に落ちるというのに、なぜやったのだろうか。

若かりし父、度胸がありすぎる。

高知県室戸市 夫婦岩にて。

しめ縄が新しくなっているほか、遊歩道の先は崩れていた。

風合いが変わっているように見えるのは、天気のせいかもしれない。

愛媛県新居浜市 滝の宮公園にて。

ライトスタンドと寝袋を使い、簡易的にテントを再現してみた。

現在は駐車場が整備され、キャンプができるような状況ではなくなった。

中国・四国を巡った後、両親と写真を見ながら話をした。

 

父は笑いながら、

「やっぱり変わっていくんだねぇ」と言った。

 

母は呆れたように、

「こんなの真似しなくていいのに」と言った。

 

そして父は、

「旅は行ける時に行けばいい、慌てるもんじゃない」と言う。

「自分も休みが作れた時に、何回かに分けて全国を周ったんだ」と。

 

そんな二人の話を聞きながら、

私はこれからも、ゆっくり思い出を辿ろうと決めた。

 

私の旅は、まだ始まったばかりだ。