僕達は自然の中から生まれた
いつかは自然に還らなければならない
東京都 江東区
荒川を越え、江東区に入った途端に地中に潜り込む送電線。
建築コストと維持コストは高いものの、
環境、景観への配慮を優先するのであれば、
送電線は全て地中を走らせるべきではないだろうか?
また、地中送電線は台風や雪など
自然現象の影響も受けにくいため、信頼性が高い。
地方は自然現象の影響を受けやすく、頻繁に停電が発生している。
しかし
「全ての人に安定したエネルギーを」
と言う割には、
高架送電鉄塔から地中送電線へ置き換わる気配はない。
信頼性と金を天秤に掛けた時、
『SDGs』を掲げている彼らは、
どちらを選ぶのだろうか。
千葉県 印西市
北総鉄道沿い
ズラリと並ぶソーラーパネル。
ここにはかつて芒野原が広がっていた。
近年、脱炭素を掲げて普及が進む太陽光発電。
しかし、ソーラーパネルの製造や用地の確保、
建設などを概算すると、
二酸化炭素排出量は減るどころか、
現行の発電方法よりも増えていると言う。
その上、大規模な建設に伴って
そこにあった自然まで破壊しているのだから
もはや救いようがない。
地方の自然を切り開いて設置するよりも、
建物の屋上に設置する方が環境への影響が少ないのは、
火を見るより明らかだろう。
資本主義社会に持続可能性は無い
SDGsは富裕層のエゴだ
それらしい標語を掲げて利潤を生み出そうとしている。
彼らは自然のことなど1ミリも考えていない。
「豊かな自然資源の保全」
と
「安定したクリーンエネルギーの供給」
という指標は、
そもそも大きく矛盾している。
本当にSDGsの掲げる通り、
自然をなるべく破壊せずエネルギーを大規模生産したいのなら、
発電施設は地方の野山や海岸ではなく、
すでにある程度開発された都市近郊や、都市ビルの屋上に設置すれば良い。
それをしないのは何故か。
理由は簡単だ。
都市の土地代は高いからだ。
地方の山林の方が何十倍も何百倍も安い。
結局は金なのだ。
彼らにとって自然は「お買い得な土地」でしかない。
環境保護指標など、なんの抑止力にもならない。
それどころか、更なる利潤を生み出すための道具として利用されている。
森を切り倒し、土壌をほじくり返し、コンクリートを流し込む。
我が物顔で『SDGs』を掲げながら、好き勝手に生態系を踏み躙る。
何をしても良いと思っているのだ。
所詮は「安い土地」だから。
僕達は学ばなければならない。
義務教育や高等教育は確かに重要だ。教育としてのコストパフォーマンスも高い。
だが、SDGsが掲げているように、自然を守っていかなければいけない僕達の世代が、
本当の自然に触れることなく、文字を読んだだけで自然を知った気になって、
「自然を守ろう」などと偉そうに説いている。
これはどうなのだ?
自然はそんなに効率よく学べるような代物ではないはずだ。
「資本主義を破壊しろ」なんて思うほどガキじゃない。
でも、「地球が資本主義に飲まれてもいい」と思えるほど、僕は大人でもない。
都市は都市であり続ければそれで良い。
ただ、都市の発展のために手当り次第に地方の自然を巻き込むのは違う。
僕達のエゴで好き勝手に開発されていい程
もう自然はありふれていない。
SDGsとは何だ?環境保護とは何だ?
常識を疑って欲しい。
社会の潮流に容易く飲まれてはいけない。
俯瞰で観察して、初めて気付くこともある。
さて。
持続可能性など、何処にあるのだろうか?